HISTORYAPPの歩み

30年の重みを改めて…
創業期
〜1991年

創業前

創業者 ⽊暮(現 代表取締役)は、「⾃らの⼿でおカネを扱う仕事」に強い憧れを抱く⻘年だった。その後、証券会社のシステム開発企業へ就職し、⾦融業界を⽀える開発職としてのキャリアを重ねていった。

しかしバブル崩壊を機に、業界の需要が急激に落ち込む。⽇々焦燥感が⾼まっていた⽊暮に契機を与えたのは、同じソフトウェア業界で働く親友の独⽴だった。真剣に、楽しそうに将来を語る親友の姿を⽬の当たりにし、⾃分も何かできるのではないかと、静かに決意を固めた。

1990年初頭における社会情勢

1980年代後半〜1990年代初頭 バブル崩壊

⽇本の⾦融市場

  • (1)預⾦取扱⾦融機関が膨⼤な不良債権を抱え経営悪化
  • (2)制作や⾦融機関⾃⾝が構築した仕組み上の問題で不良債権の処理が追い付かず、経営破綻を起こす
    ⾦融機関が続出(⾦融危機)
APPの歩み
1991

APPトピックス

有限会社アプリケーションプランニング設⽴
資本⾦300万円、従業員6名

1991年〜

創業期

新会社は、⽊暮、⻫藤(現専務取締役)をはじめとした6名の SE 集団でスタート。全員が現場出⾝のため、企業経営どころか、契約書や請求書の作成といった事務仕事も初めての経験。バブル崩壊直後のため世間の⾵当たりも強く、勉強に次ぐ勉強を重ねて必死に⾷らいついた。

「多忙なときのお助けエンジニア」としてそれぞれが活躍したこともあり、 1990年代後半になると徐々に努⼒が実り、⼤⼿企業案件が増えはじめた。やがて、6名それぞれがそれなりの案件数を担当するようになり、会社は経営基盤を整える時期に移⾏。⽊暮が経営全般(営業・経理など)を担当し、⻫藤が社員マネジメントを担当するようになった。

社会情勢

【1991〜2000年代「失われた20年」における社会情勢】

  • (1)名⽬GDPの成⻑が停滞
  • (2)物価上昇率は概ね0%を下回るデフレ状態
  • (3)⾦融機関の健全性低下や⻭単位より適切な資⾦供給が⾏われなくなった。その結果、企業の資⾦調達活動に悪影響が及び、企業活動の停滞が進んだ(⾦融機関の貸し渋り)
  • (4)⾦融機関の不良債権処理が遅れ、本来資⾦の貸出を取りやめるべき企業にも追貸していた
  • (5)⾮伝統的⾦融政策(ゼロ⾦利政策、⾼リスク資産の購⼊による⻑期国債の買いオペなど)

ITトピックス

1992年
【web】インターネットサービスプロバイダ サービス開始
1994年
【WEB】ダイヤルアップIP接続サービス開始
1995年
【ソフト/OS】Windows95の提供開始
2000年
【WEB】Google、Amazon⽇本上陸
APPの歩み

取引開始

1995

株式会社アプリケーションプランニングに社名を変更

1996

東京⽂京区湯島に移転

1997

⼤⼿グループ企業との取引開始

1999

東京都中央区⽇本橋⼩⾈町に移転

成長期
1995年〜

揺籃期

創業から4年が経過した頃、本社を東京(本郷)に移転。社員は20名まで増えていた。このタイミングで、⽊暮が現場を離れて本社に常駐することを決意。中途採⽤の推進や技術者の調達、営業活動に専念した。
現場が、まさに「⽬⼀杯」の状態で四苦⼋苦している⼀⽅で、⼀番の稼ぎ頭だった社⻑が現場を離れることに対し、不安を感じる者も多かった。

しかし⽊暮は、どんなに不安の声が挙がろうとも、⼀切現場に姿を現さず、本社で⾃らの役割に徹した。
「そうしないと会社を守れなかった。会社を経営するのが私の仕事だという信念を貫きました」

2001年~

成⻑期

2007年までは売上も右肩上がりで、順調に社員数も増え、会社として順調に成⻑していた。
だが、2008年のリーマンショック後、業績が⽬に⾒えるように落ち込み始めた。当時を振り返り、⽊暮、⻫藤は次のように考えている。

⽊暮

⽊暮

企業の成⻑戦略を描く観点から、「社員の活躍」をテーマに考えるようになりました。
社会情勢の不安定さも⼿伝い、採⽤する側の私達が、会社を⼤きくするための明確なビジョンを描くことが⼤切だと気が付いたのもこの時期です。
⻫藤

⻫藤

2002〜2003年に本社配属になり、本社機能を拡充するために試⾏錯誤していましたが、当時はまだ⼀部現場も担当していました。導く側の私達が、社員それぞれのキャリアプランに応じて仕事を振り分けることが必要だと学びました。
社会情勢

ITトピックス

  • 2001年
    【web】ADSL 普及率21.4% 【携帯】3G
  • 2003年
    【web】光回線普及率64.3%
  • 2008年
    【携帯】iPhone 発売
  • 2011年
    【web】LINE サービス開始
APPの歩み
2002
  • 直請案件として基幹システム開発受注
  • 公共⼊札受注
  • ⼤⼿保険会社との取引開始
2005

東京都中央区⽇本橋茅場町に移転

2007

東京都港区芝浦に移転
東京都プライバシーマーク JIS Q15001:1999 取得

挑戦期
2011年〜

挑戦期

2008年、リーマンショックによる激震が世界中を駆け巡り、業績は低迷、採⽤不安定期に突⼊。さらに追い打ちをかけるように、 2011年、東⽇本⼤震災が勃発した。震災による⽣産活動の低下や消費者マインドの悪化などが影響し、強い下押し圧⼒によって実質GDP成⻑率はマイナスとなった。
その余波は会社の業績を直撃した。

しかしその後、採⽤戦略を⾒直し、ついに100名体制の定着に成功。徐々に「会社の格式」を認められ、念願の直接取引案件も増加した。

そして2015年、ついに⽇⽴製作所との直接取引がスタート。
会社として悲願達成の瞬間だった。以来、お客様の潜在的な要望を細やかに把握し、満⾜度アップに繋がる対応に努めてきた。その努⼒が認められ、 2018年、「⽇⽴製作所⾦融セグメントプラチナパートナー認定」を取得 。「まるごと全部お任せできる技術屋」パートナーとして、さらなる⾶躍を期待されている。

社会情勢

2008年「リーマンショック」下における社会情勢

  • (1)⽇本のGDP ギャップがマイナス7%弱に達する
  • (2)世界的な成⻑減速下での加速度原理により、世界の設備投資が⼤幅に低迷。それまで⽇本を⽀えていた資本財・耐久消費財部品を中⼼とした輸出業が⼤打撃
  • (3)欧⽶諸国は⼤胆な⾦融緩和政策を導⼊したが、既に低⾦利政策を継続していた⽇本は⾦融緩和の余地が少なく、安全な⽇本円購⼊の動きの活発化も相まって円⾼が進む。輸出業中⼼に追加で打撃を受ける
  • (4)⼤企業メーカーは、製造原価が安く済む海外へ製造拠点を移動(産業の空洞化)。下請けとして機能していた中⼩企業の倒産が相次ぐ
  • (5)法⼈、個⼈ともに投資額よりも貯蓄額のほうが増え経済成⻑が停滞(貯蓄超過問題)

2011年「東⽇本⼤震災」下における社会情勢

リーマンショック後、アジアを中⼼とした海外経済の堅調な成⻑に牽引されるかたちで緩やかに経済成⻑が上向きに。ただし、外的要因による成⻑のため、震災直前で成⻑率が再び減少傾向にあった。そのタイミングで震災が勃発し、国内の消費活動が減少傾向に。

APPの歩み
\ ⾦融⼀本化 /

リーマンショック、東⽇本⼤震災で⼀時は急激に落ち込んだ売上。得意ジャンルの⾦融分野に特化して再び軌道に乗せることに成功しました。

\  ⾦融⼀本化  /
2011

東京都品川区⼤崎に移転(資本⾦3,000万円)

⼤規模な⼀括受注(APP最⼤の危機到来)

2012

ISMS ISOIEC 27001:2005 、JIS Q27001:2006 取得

2015

⽇⽴製作所取引開始

2016

資本⾦5,000万円に増資

2018

⽇⽴製作所⾦融セグメントプラチナパートナー認定

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